明治31年
(1898)
前年に設置された理工科大学に採鉱冶金学教室創設(文部省令第14号)   採鉱学第1講座
採鉱学第2講座
冶金学第1講座
冶金学第2講座の4講座で発足
 
明治32年
(1899)
水曜会創立
(隔水曜日夕・盾ゥら洋書輪読)
学内で初めての試み、後にこれを範として他教室にも拡がる。始めの年は教室に電灯の設備なく、学生の下宿する基督教青年会館の二階を借りて行う。     
明治34年
(1901)
第一期生卒業(3名) 猪飼政太郎、石原久吉、大島十郎の3氏    
明治35年
(1902)
卒業式廃止      
明治39年
(1906)
    冶金学第3講座新設  
明治41年
(1908)
水曜会誌第1号創刊、水曜会規則設定
中央発電所の設置で電力が随時使用可能
卒業式復活
1月と6月発行、縦書き、片仮名まじり漢字、外来語は平仮名、最終頁に会員名簿掲載、正会員は教官と学生のみ、卒業生は特別会員、他にも名誉会員、会費は年50銭、会誌の毎号に会員の納入状況を掲載。 採鉱学第3講座新設  
明治42年
(1909)
採鉱冶金学教室創立10周年祝賀会
新入生歓迎会として比叡山登山始まる(21巻10号に解説記事)
会長の開会の主旨,総長,卒業生代表,学生代表の祝辞.余興として講談,剣道,相撲の対抗試合.晩餐後詩吟と追分の余興.金銀銅鉄石炭を形取った折入り菓子の土産を配る.
10月3日朝7時半大学正門出発.この年,7月数名卒業,9月13名入学
  横堀治三郎
 
    採鉱冶金学教室十周年祝賀会記念撮影(明治41年7月9日)
明治44年
(1911)
米国鉱業会員訪問団京大訪問
「水曜会原稿書方」掲載
レーハイ大学総長を団長とする訪問団(婦人同伴計86名)を教室教官,学生一同京都駅に出迎える.大学の設備等に興味を示し予定時間を超えて見学.裏表紙見返りの「水曜会原稿書方」で片仮名と平仮名の使い方を逆(現在と同じ使い方)にするよう啓蒙している.    
明治45年
(1912)
採鉱冶金学教室増築完成および水曜会誌第10号発刊記念祝賀会      
大正2年
(1913)
横堀治三郎教授依願退官     斎藤大吉
大正3年
(1914)
理科大学と工科大学とに分離
採鉱冶金学教室の新カリキュラム編成
理工科大学の分離を機に採鉱冶金学教室では第2学年から第1科 (採鉱志向学生) と第2科(冶金志向学生)に分かれたカリキュラムを編成    
 
   
比叡登山 (大正3年10月13日)将門岩にて       唐崎の松の下にて
大正5年
(1916)
水曜会規則改正 水曜会誌第2巻第5号の「会計の概況」で会計報告,以後毎号に会計報告 (現在は隔号に掲載)
水曜会誌第2巻第7号に改正案を掲載し承認を要請,異議あれば申出を受けるとのこと.特別会員をなくし正会員に含め,元教官と職員を準会員としている.会費も値上がっている.
   
大正7年
(1918)
教室創立20周年および校舎増築落成祝賀会
水曜会誌臨時増刊炭坑爆発誌発刊
卒業生累計161名
大正6年2月撫順炭坑で発生した爆発事故の救助活動中に殉職した卒業生中村太郎氏の追悼記念号
   
大正8年
(1919)
工科大学を工学部 と改称      
大正9年
(1920)
水曜会会友 (会誌有償購読者) を附則で定める      
大正10年
(1921)
4月入学実施.採鉱科と冶金科に分かれて入学
新入生歓迎比叡山登山をマラソン競争とする.
採鉱科は3学年で金属採鉱,石炭採鉱,石油採鉱,応用地質と選鉱の5つに分かれ,冶金科は2学年で冶金と鉄冶金に分かれ,さらに冶金は3学年で冶金,冶金化学,選鉱に分かれる.
マラソン登山の賞品は1等5円,2等3円,3等2円の図書切手,1着記録1時間20分.
冶金学第4講座新設  
大正11年
(1922)
水曜会予餞会 (卒業生歓送会)始まる   採鉱学第4講座新設  
大正12年
(1923)
水曜会誌第4巻から年3回発行 原則として2月,6月,10月の3回とし,これまで巻末に掲載していた会員名簿を分冊として12月に発行する.    
大正13年
(1924)
水曜会設立25周年記念祝賀会開催 「最新鉱業知識」 (600余頁,238図版) を25周年記念出版    
大正15年
(1926)
水曜会誌の体裁変更 (横書き,左開き,上質紙)      
       
昭和2年
(1927)
井出兼六教授逝去      
昭和3年
(1928)
鉄筋コンクリート造地下1階2階建北分教室新築 現在工学部8号館のところ,塔屋から地下室まで15mの立坑あり.昭和45年ごろ解体    
昭和8年
(1933)
論文別刷実費配布開始
齋藤大吉前会長還暦を以って停年退官
    渡邉俊雄
昭和9年
(1934)
和迩莞爾助教授逝去
9月21日室戸台風で鉱物標本室の棚壊れる.
     
昭和11年
(1936)
オリンピック選手壮行会 採鉱科3年松野栄一郎君,ベルリンオリンピックの投擲競技代表選手となる    
昭和12年
(1937)
鉄筋コンクリート造3階建分教室新築
教室創立40周年祝賀会
1階図書館,2階鉱物標本室,3階製図室,現在は研究室と講義室.   小田川達朗
昭和13年
(1938)
「会報および消息」欄に応召会員名簿.      
昭和14年
(1939)
この年より会誌の発行を年4回とする. 会員の戦没者追悼記事増える.軍事教練必修化    
昭和15年
(1940)
    物理探鉱学講座新設  
昭和16年
(1941)
南分教室移設
12月に卒業繰上げ
     
昭和17年
(1942)
採鉱冶金学教室は鉱山学教室と冶金学教室に分離
学生定員それぞれ35名 (鉱山学20名,冶金学23名増)
山田賀一教授逝去
水曜会員の6英霊を祭る 鉱山学教室は採鉱学第1〜第4講座を鉱山学第1〜第4講座と改称,鉱山学第5講座新設,物理探鉱学講座と合せて6講座で発足
冶金学教室は冶金学第5講座新設し,5講座で発足
 
昭和18年
(1943)
  大学,出陣学徒壮行式をグランドで挙行 冶金学第6講座新設  
昭和19年
(1944)
水曜会誌4月号 (第11巻第7号) を最後に以後の発行は用紙もなく,終戦の混乱で休刊を余儀なくされる.     西村秀雄
昭和20年
(1945)
小田川達朗教授逝去,追悼記事は10年後に掲載      
昭和22年
(1947)
物故水曜会員慰霊祭      
昭和23年
(1948)
水曜会誌7月号 (第11巻第8号) 復刊,年2刊発行
教室創立50周年記念水曜大会
     
         
   50周年記念  
昭和24年
(1949)
新制京都大学発足
水曜会大会始まる
月に1,2回開かれていた水曜会例会は昭和19年から開催記録が見当たらない.代わりに年1度の研究発表会と講演会および懇親会を行うことになったものと思われる.    
昭和26年
(1951)
      三雲英之助
昭和28年
(1953)
新制大学院工学研究科発足
水曜会誌年3回発行
    沢村 宏
昭・a30年
(1955)
西村秀雄教授停年退官     三雲英之助
昭和31年
(1956)
      沢村 宏
昭和32年
(1957)
三雲英之助教授停年退官
第1回三雲杯争奪運動会
鉱山学科,冶金学科対抗戦 (野球,庭球,バトミントン).鉱山が優勝   久島亥三雄
昭和33年
(1958)
教室創立60周年記念午餐会
沢村宏教授停年退官
鉱山学教室で新入生歓迎会として比叡山登山競争復活    
昭和35年
(1960)
教室創立60周年記念研究室増築竣工      
昭和36年
(1961)
金属加工学教室発足 新入生歓迎会比叡山登山競争を鉱山,冶金,金属加工教室対抗三雲杯争奪戦とする.順位 鉱山,2位冶金,3位金属加工 (1着59分45秒山田直美 (鉱山4) 結晶塑性学講座新設 (金加) 西原清廉
昭和37年
(1962)
久島亥三雄教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位,冶金,2位鉱山,3位金属加工 金属組織学講座新設 (金加)  
昭和38年
(1963)
赤煉瓦造り旧採鉱冶金学科本館取壊し. 工学部6号館の新築計画で,旧採鉱冶金学科本館が取壞されるに当って思い出の碑を制作.正面玄関の花崗岩ブロックと外壁の赤煉瓦とを組合わせた台座の上に,旧本館の青銅鋳造模型を置く.台座前面に碑板と採鉱冶金時代の章標をはめ込む.総経費140,000円,1人200円均一の募金を募る.新入生歓迎会比叡山登山競争順位 冶金,鉱山,金属加工 冶金学第1-第6講座はそれぞれ鉄冶金学講座,非鉄冶金学講座,電気冶金学講座,金属材料学講座,鋳造冶金学講座,冶金反応及び操作講座と改称,金属物理学講座 (金加),鋳造加工学講座 (金加) 新設  
 
  
 教室近影(昭和38年5月)
昭和39年
(1964)
鉱山学教室を資源工学教室と改称,工学部6号館新築 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 冶金,資源,金属加工 資源工学科の6講座は地質鉱床学講座,探査工学講座,開発工学講座,採鉱機械学講座,資源精製学講座,資源加工設備工学講座と改称,溶接工学講座(金加),特殊鋼学講座(金加)新設 滝本 清
   
赤煉瓦造り建物思い出の碑の除幕式 / 改築された教室近影(昭和39年6月)
 
昭和40年
(1965)
      西原清廉
昭和41年
(1966)
  新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金    
昭和42年
(1967)
  新入生歓迎会比叡山登山競争順位 冶金,金属加工,資源   森田志郎
昭和43年
(1968)
西原清廉教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金.この年から1着に西原杯授与鋼京大にも大学紛争の嵐.工学部6号館前の攻防で資源工学教室に建物,什器備品に被害を受ける.    
昭和44年
(1969)
滝本 清教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,冶金,資源   向井 滋
昭和46年
(1971)
水曜会編集委員会設置     平松良雄
昭和47年
(1972)
河野 修助教授逝去      
昭和48年
(1973)
      尾崎良平
       
昭和50年
(1975)
森田志郎教授停年退官
倉井和彦助手逝去
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 1位金属加工   伊藤一郎
昭和52年
(1977)
資源工学教室新館竣工 (工学部1号館に増設)
向井 滋教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金   森山徐一郎
昭和53年
(1978)
教室創立80周年記念水曜会大会
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金
昭和23年復刊以来会誌の印刷者小林積造氏を表彰
  村上陽太郎
昭和54年
(1979)
平松良雄教授停年退官
伊藤一郎教授停年退官
岡 行俊助教授逝去
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,冶金,資源   盛 利貞
昭和55年
(1980)
尾崎良平教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金   足立正雄
昭和56年
(1981)
村上陽太郎教授停年退官
森山徐一郎教授停年退官
港 種雄教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金   吉住永三郎
昭和57年
(1982)
盛 利貞教授停年退官
足立正雄教授停年退官
    高村仁一
昭和58年
(1983)
吉住永三郎教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金
水野弥一監督 (資源40年卒) 率いるフットボール部ギャングスター,ライスボウルに初めて優勝し日本一になる.その後3回優勝
  水野政夫
昭和59年
(1984)
高村仁一教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金   田村今男
昭和60年
(1985)
  新入生歓迎会比叡山登山競争順位 冶金,金属加工,資源   近藤良夫
昭和61年
(1986)
  新入生歓迎会比叡山登山競争で古沢光一君 (金属加工4回生) 4連覇達成.記録はそれぞれ1回生54分54秒,2回生53分41秒,順位 金属加工,冶金,資源 地質鉱床学講座を応用地質学講座に,採鉱機械学講座を応用計測学講座に,資源精製学講座を精製工学講座に資源加工設備学講座を加工設備学講座に改称 小門純一
昭和62年
(1987)
水野政夫教授停年退官
田村今男教授停年退官
近藤良夫教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金
水曜会誌会報欄に「会員通信欄」新設
  中村陽二
昭和63年
(1988)
小門純一教授停年退官
川野 豊教授停年退官
中村陽二教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金   真嶋 宏
       
平成1年
(1989)
創立90周年記念号
日下部吉彦教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 資源,金属加工,冶金   藤中雄三
平成2年
(1990)
藤中雄三教授停年退官
倉知三夫教授停年退官
新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金   寺田 孚
平成3年
(1991)
真嶋 宏教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,冶金,資源 精製工学講座は環境地球工学専攻 (新設独立専攻) の協力講座 (資源循環工学講座)に改組 (21巻7号に解説記事) 一瀬英爾
平成4年
(1992)
寺田 孚教授停年退官 新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,冶金,資源 メゾ材料研究センター設立 (21巻10号に解説記事) 若松貴英
平成5年
(1993)
  新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金   佐々宏一
平成6年
(1994)
  新入生歓迎会比叡山登山競争順位 金属加工,資源,冶金 大学院重点化により冶金学専攻と金属加工学専攻は材料工学専攻とエネルギー応用工学専攻に改組,学部は物理工学科を兼担(22巻2号に解説記事) 朝木善次郎
平成7年
(1995)
若松貴英教授停年退官
一瀬英爾教授停年退官
改組により旧冶金,旧金属加工の新入生特定できないため比叡山登山競争 (3教室対抗三雲杯争奪戦) しばらく中止   中廣吉孝
平成8年
(1996)
    大学院エネルギー科学研究科(独立研究科)創設
大学院重点化により資源工学専攻は学部で地球工学科を兼担,一部の講座はエネルギー科学研究科に移行.エネルギー応用工学専攻はエネルギー科学研究科へ移行 (22巻8号に解説記事) 
小岩昌宏
平成9年
(1997)
佐々宏一教授停年退官
中廣吉孝教授停年退官
    八田夏夫
平成10年
(1998)
創立100周年記念号     新宮秀夫
       
平成11年
(1999)
朝木善次郎教授停年退官     小野勝敏
平成12年
(2000)

菊池宏吉教授停年退官
八田夏夫教授停年退官
小岩昌宏教授停年退官

     
平成13年
(2001)

新宮秀夫教授停年退官
小野勝敏教授停年退官

    花崎紘一
平成14年
(2002)

志賀正幸教授停年退官

  国際融合創造センター設立
メゾ材料研究センターが国際融合創造センターに移行
長村光造
平成15年
(2003)
西山孝教授停年退官     齋藤敏明
平成16年
(2004)

花崎紘一教授停年退官
足立裕彦教授停年退官
山口正治教授停年退官
吉田起國教授停年退官

4月1日 国立大学法人京都大学設立   牧 正志
平成17年
(2005)

石井隆次教授停年退職
山本悟助教授停年退職

    芦田 讓
平成18年
(2006)
長村光造教授停年退職
齋藤敏明教授停年退職
    冨井洋一
平成19年
(2007)
芦田讓教授定年退職
牧正志教授定年退職
村上正紀教授定年退職
冨井洋一教授定年退職
田邊晃生助教授定年退職
    粟倉泰弘
       
平成20年
(2008)
福中康博教授定年退職
田村剛三郎教授定年退職
青木謙治
平成21年
(2009)
粟倉泰弘教授定年退職落合庄治郎
平成22年
(2010)
工学研究科地球系3専攻の改組に伴い資源系の応用地球物理学分野,地殻開発工学分野,計測評価工学分野がそのまま社会基盤工学専攻に所属,環境資源システム工学分野が社会基盤工学専攻から都市社会工学専攻に所属変更,地殻環境工学講座が都市環境工学専攻から都市社会工学専攻に所属変更となった。松岡俊文
平成23年
(2011)
会則改訂(2011年12月5日)白井泰治
平成24年
(2012)
落合庄治郎教授定年退職酒井 明
平成25年
(2013)
会則改定(2013年6月15日)朝倉俊弘
平成26年
(2014)
水曜会会費細則改正
(2014年7月14日)
松原英一郎
平成27年
(2015)
松岡俊文教授定年退職石原慶一
平成28年
(2016)
白井泰治教授定年退職石田 毅
平成29年
(2017)
朝倉俊弘教授定年退職
酒井明教授定年退職
水曜会会費細則改正
(2017年9月29日)
都市社会工学専攻所属の地殻環境工学講座が講座から分野となり地球資源システム分野(旧環境資源システム工学分野)と地球資源学講座を構成。河合 潤
平成30年
(2018)
会則改定(2018年6月2日)平藤哲司
       
令和元年
(2019)
石田毅教授定年退職宅田裕彦
令和2年
(2020)
松原英一郎教授定年退職杉村博之
令和3年
(2021)
宅田裕彦教授定年退職田中 功
令和4年
(2022)
 塚田和彦
令和5年
(2023)
河合潤教授定年退職
塚田和彦教授定年退職
三ケ田均教授定年退職
石原慶一教授定年退職
奥田浩司
令和6年
(2024)
柏谷悦章教授定年退職
杉村博行教授定年退職
平藤哲司教授定年退職
中村裕之